書いている私は、当然ながら戦争を知らない世代で育っています。しかし、私の両親は当然戦争中の育ちであり、数々の思い出話をしていました。
当然、松戸の町にも工兵隊、飛行場(現在は松飛台と呼ばれています)、津田沼にあった鉄道連隊が訓練のために敷いた演習線跡も残されています。
この季節に、遺構を訪ねるイベントでも考えもしますが、それより暑さが厳しい季節なので中々ご紹介することができません。このようなところを皆さんと歩いてみるのも良いかな?とも考えています。
さて、戦争を振り返る日として、左上の冊子は戦争当時の国威高揚が激しい時に編集された手持ちの冊子です。(昭和19年1月1日発行)「決戦輸送図絵」と書かれているのでしょうか。なにぶんにも当時の漢字ですので不安です。我が家にある戦中の中の一つの冊子です。
表紙は、迫力のある多分C57という機関車かな?いかにも国威発揚のような写真ですね。ページをめくれば、いきなり「現代戦は総力戦であり輸送戦である」から始まりいかにも戦時下の文章です。
「輸送力確保のために」
昭和18年度時刻改正では、それまで旅客列車が61%あったものが49%となり、貨物列車39%から51%の割合となり、如何に物資を輸送するために貨物列車の輸送を確保したことがうかがえます。
また、写真ではわかりにくいのですが、腰掛のひじ掛けを撤去して3人掛けにしたり、食堂車を収容力のある3等車にしたそうです。また、荷物車も改造して3等車にしたと記載されています。昭和18年(1943年)には、山本五十六戦死、アッツ島玉砕、学徒出陣などがあり、この冊子を編集した頃は、まさしくこれから厳しくなる戦争の時代だったのですね。
最後章では、「一路勝利へ邁進‼」
輸送線は戦場である。
決戦の秋!国民一人一人が勝利への道を驀進する強力な機関車であらねばならぬ。
と結ばれていました。
今日は、色々考えさせられる一日でした。
先の戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
まだまだ、暑さが続くようですので、いつもホームページをご覧のみなさまご自愛ください。来週には、9月分の戸定邸ガイド予定をホームページに掲載いたします。